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株式会社じょんのび村協会  今井清栄 専務取締役


過疎のムラの町おこし

平成17年5月に隣接する柏崎市と合併した旧高柳町は、標高890mの黒姫山をはじめとする山々に囲まれ、町を南北に流れる鯖石川流域に広がる静かな山里である。町の約7割を傾斜地が占め、平坦地には乏しいが、逆にそれが、点在する集落と棚田に象徴される日本の山里を代表するような景観を作り出しており、訪れる写真愛好家も多い。  
旧高柳町は昭和30年、旧高柳村と旧石黒村との合併で誕生した。当時約1万800人いた人口も、過疎化や高齢化の進行で、柏崎市との合併時には、かつての5分の1の2,300人にまで減少した。

「冬の出稼ぎ収入と田んぼの稼ぎでは人並みの生活ができず、町には産業もなく、当時の不便な道路事情からも、若い人は移住し、年寄りだけが残ってしまう、そんな暮らしだった」−株式会社じょんのび村協会の専務取締役で「じょんのび村」のマネージャーである今井清栄さんは、当時をこう振り返る。


「住んでよし」「訪れてよし」の町づくりへ

昭和50年代に入り、町も町民も、進みゆく過疎に強い危機感を覚え、ムラの活性化を目指し、各集落で若手が立ち上がった。勉強会を進める中で、都市との交流によって活性化を図ろうとの結論を得て、埼玉県狭山市民や都内百貨店との交流、提携が始まった。昭和63年には町が「ふるさと開発協議会」を立ち上げ、町民集会や現地視察などを重ねながら、”住んでよし””訪れてよし”の町づくりを進めることとなった。   当時は折しもリゾートブームだったが、大きな開発の波に飲み込まれずに、新潟に合った”手づくり”の町づくりを手がけるべきだとして、農村滞在型の交流施設の整備構想が生まれ、「じょんのび村」を拠点として、”コア”施設に位置づけ、各集落を”サテライト”として取り組んでいくこととなった。平成4年に第3セクター・(株)じょんのび村協会が設立され、6年には、「食事処」、「加工・販売施設」、「貸別荘」、「温泉施設」、「宿泊・休養施設」、「ふるさと体験工房」と施設が全て完成し、フルオープンとなった。


休耕地を活用したどぶろく造り


じょんのび村のもてなしの一つに、「どぶろく」がある。平成14年12月に構造改革特区制度ができ、県内では平成15年10月に旧安塚町、旧松代町など東頸城地域が先に特区認定を受けたが、旧高柳町でも16年6月に「どぶろく特区」および「農業特区」の申請を行い、認定を受けた。特区では、どぶろくとどぶろく製造用の米も生産することとした。
平成16年は既に作付けが終わっていたが、棚田に4年程度放置された休耕地があり、台帳面積で50aのところをJA柏崎を事業実施主体として借り受け、秋から、重機を扱える職員の手で休耕地の復旧整備をした。このあたりの中山間は、平場とは違って1年放置すれば草ボーボーになるので、実質「開墾」と言ってもよかった。原料米確保のため、作付け済みの水田約10aを含め借地契約をし、その年の収穫から第1号の仕込みを始め、92本の酒ができあがった。県内では特区で13人がどぶろく製造に取り組んでいるが、法人は当社だけとあって注目を集めた。

初年度はコシヒカリ、2〜3年目は酒米の「一本〆」を作付けしたが、4年目の平成19年は「コシイブキ」に変えて作付けを行った。これは、手作りによるどぶろく製造を行っていることから製造量には限りがあり(計画では製造量1,500gとしている)、1年間で製造する量が決まると米の生産量も決まってくるため。つまり、生産量に”余り”が出てくるようになってきて、酒米の「一本〆」は飯米には不向きなことから、一般の品種に切り替え、超過分は飯米として利用することとしたのだ。「コシイブキ」だけでも清酒を造っているところもあり、どぶろく造りには十分だし、一方「越端麗」(こしたんれい)のような酒造用の優良品種までにまでこだわる必要はないと考えた。酒造りは越後杜氏の地域でもあることから、当初、地元にいた杜氏のOBにお願いをし、その後は杜氏の経験もある今井専務が米づくりも含め担当している。


赤字と度重なる地震を克服して

今井さんは就任すると真っ先に経営改革に取組み、平成10年時の累積赤字5,000万円を2年間で解消し、13〜15年はささやかながら黒字を出した。しかし、平成16年には中越地震に見舞われ、施設はダメージを被った。その後もその余波が続いて、「今年は4年連続の赤字は許されないぞ」という覚悟を決めていた矢先に、今度は7月に中越沖地震に見舞われ、宿泊施設は25日間の休館を余儀なくされた。地震による原発施設の火災や損壊による風評被害も懸念される。

農業については、初めての取り組みだった。しかもともかく手がかかる。「50aといえども、畦畔があって実際の作付面積は30a程度にすぎない。しかし、草刈りだけでも年3回、5〜6人がかりだ。成形田であれば1haくらいやりこなせるはずだが、今製造するどぶろくの量からすれば、今すぐに拡大する必要はない。また、施設で使う米の購入量を減らすこともできようが、実際に計算してみると購入した方が安いかもしれない」

もともと地域興しからスタートした取組みに、今井専務自身も迷いはない。「久しぶりのお客様です」−地震からの再開直後、会話した従業員も素朴な方々で、涙ながらに再開を喜んでいる。この美しい田園風景が残されているのも、こうした地域の心暖かい人々の尊い営みのおかげに違いない。

「じょんのび村」のホームページには、こんな心地よいメッセージが記されている。

”じょんのび”とは・・・ゆったり、のんびり、真からきもちいいという方言です。県内有数の豪雪地、小さな田舎”高柳”にじょんのびしに来らっしゃいな!!


 

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