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東日本大震災

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復興へ歩む被災地 原発被害の福島県では 希望胸に故郷で再起

 未曽有の被害をもたらした東日本大震災から2年。いまだ収束が見えない東京電力福島第一原発の事故は、福島県の営農に深い傷跡を刻み続けている。地域は、農業はどうなるのか。やりきれない疑問を胸に、被災農家はそれでも生まれ育った町や村に戻り、経営を再開している。「今年が農業元年」。現場からは力強い声が響いた。

 「仮設住宅には何にもないよ。やっぱり土の上を歩かないと落ち着かないからね」。双葉郡川内村のハウスで坪井利一さん(75)はかみしめるように話した。原発から30キロ圏内にある同村は、旧緊急時避難準備区域にあたり、2011年3月16日に全村避難が実施された。ハウスでタラの芽を栽培する坪井さんは当時、農業委員会の会長だった。
 坪井さんは、親せきの家に身を寄せ、その後郡山市の仮設住宅に入居する。事故直後はしばらく村に近づけないもどかしい状況が続いた。だが、どうしてもハウスの状態が気になり、避難から半年後には妻の紘子さん(73)と週に1回、村へ帰り栽培を行う。経営再開のためには、できるだけのことをやると決めていた。避難から10か月後に村が“帰村宣言”をすると、坪井さんはすぐに村へ戻った。
 栽培ができなかった半年で、ほだ木は害虫にやられていた。新しい木が育つ再来年まで、生産量は1割程度に落ちる。県の放射性物質検査では安全性に問題はないが、風評被害は変わらず厳しい。しかし、「大変だよ」と笑う顔に悲壮感はない。「ここが自分の場所だから」と、坪井さんは何かを確認するように土を踏みしめた。
 同村では、今年度から米の作付けを再開する。面積は例年の約4分の1となる130ヘクタール。再来年には80%水準にまで戻したい意向だ。事故前は8戸だったタラの芽栽培の農家は、5戸が再び栽培を始めている。
 昨年の3月に避難先から帰町した同郡広野町でも、今年からまた米作りに取り組む。例年の約半分、105ヘクタールで栽培される見込みだ。
 同町農業委員会会長の大和田久司さん(63)は、除染と整地に追われる毎日を過ごす。「2年間遊ばせていたから草がぼうぼう。でも、草よりやる気の方が盛んだね」と久しぶりの作業に声を弾ませる。
 大和田さんは、経営再開をあきらめた農家から農地を引き受け、事故前の倍の8ヘクタールを耕作する予定だ。「人それぞれ事情があるから仕方がない。意欲的な若手に集積していく仕組み作りを急ぎたい」と話す。
 安全性に不安がないだけに、担い手の不足は歯がゆい。米農家360戸のうち再開が見込まれるのは約80戸。耕作放棄地が一気に進む不安にかられる。同農委会事務局長の谷平正成さんは「無理に呼び戻すわけにもいかない」と今後の課題に悩みが尽きない。
 米作中心の同町では、実質的に今年が営農再開の初年となる。大和田さんは「長い2年間だったが、とにかく自分の土地に戻れた。放射能には負けていられない」と前を見据えた。

<取材後記>
 まだ雪が多く残る川内村。ほとんどの家には人気がなく、商店も閉まっていた。村民2800人のうち村に戻ってきたのは450人ほど。広野町も同様だ。農村社会がどうなってしまうのか不安が広がった。そんな中で、生まれ育った村で営農再開した農家の喜ぶ顔に心打たれた。(佐藤陽平)

写真上=収穫期に入ったタラの芽を丁寧に取り分ける坪井さん夫妻
写真中=広野町農委会会長の大和田さん(左)と事務局長の谷平さん
写真下=荒れた田にゼオライトをまく大和田さん

 [2013-3-8]