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MY STYLE 津波被害から立ち直り規模拡大 宮城・山元町 燦燦園 深沼陽一さん

 宮城県沿岸部に位置する山元町は、歴史あるイチゴの産地だが、東日本大震災の津波により、大きな被害を受けた。深沼陽一さん(38)は、いち早く栽培を再開。2011年11月に(株)燦燦園を設立して規模を拡大。食味の高いイチゴを軸に、ユニークな商品と企画力で、産地を盛り立てている。

 震災前、両親と65アールのハウスでイチゴを栽培していた深沼さんが、燦燦園の代表取締役に就任して7年。規模を拡大し、現在は30人を雇用して、1.7ヘクタールのハウスで「とちおとめ」と「紅ほっぺ」を栽培している。
 子供の頃からイチゴが大好きで、自分の家だけでなく近所の農家でもイチゴばかり食べていた。それでも20歳前後の頃は、就農することに抵抗を感じていたという。
 ある時両親に「やってみろ」とハウス1棟分のホウレンソウを任された。「市場の相場を読んで出荷すれば100万円になる」といわれたが、友人を動員して取り組んだところ、200万円を売り上げた。これを機に23歳で就農。土耕栽培が主流だった山元町でいち早く高設の養液栽培を導入したが、どうしても「土の味」にかなわない。なんとか納得のいく味を出したいと、父と共に、養液や温度、二酸化炭素や光などを与える量やタイミングを研究。食味のよいイチゴを目指していた。
 震災で大部分の施設を流失。それでも高台のハウスに奇跡的に親苗が残っていたので、そこから苗を採り、いち早く栽培を再開させた。震災後、山元町には大規模なイチゴ団地が誕生し、大部分の生産者が高設の養液栽培に移行する中で、燦燦園のイチゴは「ツヤがあって形がよい」「味が濃い」とパティシエたちの間で評判に。洋菓子店や高級フルーツ店、百貨店を中心に、販売先を開拓。宮城県だけなく、東京や関西にも広げている。「業務・加工用ではなく《プロ向け》と呼んでください」。
 鮮度が命のイチゴを朝摘みし、翌日には先方に届くようへこみのついたソフトトレーで配送。「足りない時は、地元の仲間に助けてもらっています」と話す。

 「一年中、おいしいイチゴを食べてほしい」と、深沼さん。四季成りの夏秋イチゴではなく、なじみ深い「とちおとめ」を夏も栽培できる冷却装置入りのハウスを、資材メーカーの協力を得て開発中。
 夏は凍結イチゴを削って「いち氷」、冬はイチゴ大福を販売。百貨店に苗を運んで「移動式イチゴ狩り」など、ユニークな企画を次々と考案し、タイなどへの海外輸出にも挑戦している。
 「日本のイチゴのすばらしさを、世界に伝えたい」。再生したイチゴ産地でスタッフの先頭に立ち、果敢に突き進んでいる。

写真説明=震災のダメージから再生。30人のスタッフを率いて、食味が高く美しいイチゴを探求する深沼さん

 [2019-4-12]