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列島最前線 被ばく牛を守り農地保全 福島・大熊町 もーもーガーデン

 東日本大震災から8年。東電福島第一原発の1〜4号機が立地し、全域が避難指示区域となった大熊町(4月10日から一部解除)で、被災地と向き合い続ける女性がいる。東京で会社勤めをしていた谷咲月さん(36)だ。放牧農地で、餓死や殺処分を免れた牛を保護。草刈りなど新たな「活躍の場」を模索し「究極の省エネモデル」づくりを目指している。

 放牧農地「もーもーガーデン」は、活動を継続させようと谷さんが立ち上げた非営利一般社団法人「ふるさとと心を守る友の会」が運営する。原発から約10キロの距離にある農地で、避難した農家から借りた。事故後数年で、直径が十数センチもある雑木や雑草で山林化していたが、牛の「舌刈り」でよみがえった。雑木も葉を食べようとする牛が押し倒した。
 放牧牛は畜舎から逃げていた11頭。耕作放棄地問題に詳しい専門家の助言を受け、県家畜保健所の指導の下で圃場ごとに農地再生と糞による地力向上、牧草の生育状況、蹄耕(ていこう)の効果などを調べている。

 谷さんは、原発がある静岡県の出身。事故直後の2011年4月、避難した農家が警戒区域の発令で戻れず、家畜が死んでいるというニュースに胸を痛めた。
 当時警戒区域内にいた約3600頭の牛は移動が禁止され、次々と餓死した。農水省は所有者の同意を得た牛の殺処分を決めたが、同意を得られなかった牛は放置された。約3200頭が餓死か殺処分されたとみられ、一部は無人の街中や山中をさまよっていた。
 谷さんはインターネットで被災農家と支援者のマッチングを始めたが、農家から頼まれ、大熊町に通い始めた。畜舎を回って餌と水を与え、離れ牛を保護するための柵作りをした。
 通いは2週間に1回が2日に1回となり、2013年3月には会社を辞め、いわき市に移住。車の免許を取り、夜間に塾講師とコンビニ店員のアルバイトをしながら、立ち入りが許可される昼間大熊町に通った。その後、現地に近い楢葉町で避難者の住宅を借りて転居した。
 「友の会」は昨年、里親制度」(月千円)を立ち上げ、支援者が広がり始めた。さらに、冬場の餌づくりのため、クラウドファンディングでの資金集めと、機械(ヤンマーの「飼料コンバインべーラーYWH1500」など)を探している(価格は相談)。機械を提供可能な方は連絡をお願いします。(電話080・4215・7801)

写真説明=「牛も人間も自然もハッピーになる、究極の耕作放棄地解消モデルをつくりたい」と話す谷さん

 [2019-4-19]